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父の最後の言葉

私の父は、私が小学6年生の時に亡くなりました。病名は胆管がん。見つかりにくい部位で、発見されたときにはすでに進行しており、余命は数か月と宣告される状況でした。

もう25年ほど前のことですが、当時は「がんの告知をするかしないか」がよくニュースでも取り上げられていた時代でした。がん=死の宣告。今のように治療法や選択肢が多くなかった時代だったのです。

そこから父の闘病生活が始まりました。最後の数か月はほとんど寝たきりで、言葉を交わすこともできない日々が続きました。ところが不思議なことに、亡くなる一週間前になって少しだけ元気を取り戻したのです。

そのとき、母と二人きりの病室で父はこう言ったそうです。
「わしはこれからどうなってしまうんやろ。あの暗い中に一人行かなあかんのやろか」

おそらく、初めての弱音だったのではないかと思います。きっと不安だったのでしょう。母の解釈では、父の言う「あの暗い中」とは火葬場の炉のことだったのではないかと。父も僧侶でしたから、これまで何百人もの人を見送ってきました。だからこそ、人間の最後はあの暗い炉の中に一人で行かなければならない――そんなイメージが父の中にあったのかもしれません。

後に聞いた話ですが、父は高い位の僧侶になるための勉強も一通りおさめていたそうです。それにも関わらず、死への恐怖は取りさらわれることはありませんでした。でも、それは当たり前じゃないでしょうか?僧侶であっても、怖いものは怖いんです。

その問いかけに対して母は、こう答えました。
「お父さんは仏さんのことが大好きやから、きっといっぱい仏さんが迎えに来てくれて、いい世界につれていってくれるよ」

その言葉を聞いた父は「そうか」とつぶやき、また黙ってしまいました。けれど、その一言でほんの少しでも父の気持ちが軽くなっていたらと願っています。

そして亡くなる前日、父は私を枕元に呼び寄せ、手をぎゅっと握りしめてこう言いました。
「がんばれ、がんばれ、がんばれ」

それが私に向けられた、父の最後の言葉でした。死期が近いことを自分で感じ取っていたのでしょう。その言葉は、25年経った今も、私を支えてくれています。

そして、父が母に弱音をこぼしたあの場面を、私が知ったのはずっと後になってからのことでした。高校生になってから、母がその時のことを語ってくれたのです。父の死からは、五年ほどが経っていました。

その話を聞いたとき、私の心に浮かんだのは「父の最後はどうなったのだろう」という疑問でした。暗い中を一人で行ったのか。それとも母が言ったように、たくさんの仏さまが迎えに来てくれたのか。

父の最後をめぐるその問いは、私自身を深く見つめ直すきっかけにもなりました。
それについての答えは、次回以降であらためて書きたいと思います。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。