父の最後の言葉の続きになります。
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父の最後に関する疑問が解けたのは、私が二十二歳のある日のことでした。
当時、私は高野山におり、修行を終えて一通りのお参りをこなせるようになっていました。
ある日、実家から電話がありました。
「お世話になっていた総代さんが亡くなられた。葬儀の助法に来てほしい」と。
その方は、私が子どもの頃から父を支えてくださっていた方でした。
葬儀会場へ向かう途中、胸の悲しみはどんどん膨らみ、
まるで自分の家族を失ったような感覚でした。
葬儀が始まっても悲しみは収まらず、
父の最期、そして人は死ぬとどうなるのかという思いが一気に込み上げてきました。
その思いが最も強くなった瞬間、不思議なことが起こりました。
「よう、来てくださったなぁ」
亡くなられた方の声が、確かに聞こえたのです。
胸の中の悲しみが弾け、涙がどっとあふれました。
その声は優しく、あたたかく、心の奥で響きました。
涙で前が見えないほどでしたが、さらに信じがたい出来事が起こりました。
目の前がぱっと明るくなり、あたり一面が光に包まれたのです。
その中に、亡くなられた方と、もう一人の姿が見えました。
私は直感的に、それがお大師様(空海上人)であると感じました。
お大師様は旅大師のお姿で、傘をかぶり杖を手に、
亡くなられた方を光の中へ静かに導いておられました。
その光景を見たとき、私は人生で初めて心の底から「ありがたい」と思いました。
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お寺に生まれ、お寺に育ち、高野山で僧侶の資格を得ながら、
それまで私は一度も本当の意味で「ありがたい」と思ったことがありませんでした。
おそらく、どこかで信じきれていなかったのでしょう。
「仏様なんてどこにいるのか」
「天国や地獄なんて本当にあるのか」
しかしこの体験を通して、私は実感しました。
死後にはただ無に帰すのではなく、魂の世界があるのだということを。
そして、はっきりとわかりました。
父は最後、一人で暗い中へ行ったのではない。
母が言っていたように、たくさんの仏さまが迎えに来てくださり、
よい世界へ導かれたのだと。
この光の体験は、空海上人が智泉大徳をお見送りになった時の伝記と重なります。
私は、お大師様と同じような体験をさせていただいたのだと思っています。
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この話は、誰とも共有できないものかもしれません。
もしかすると、すべて私の心の中だけで起こった幻なのかもしれません。
けれど私は思います。
魂の世界とは、心の自由が許されている場所なのだと。
もし天国や極楽浄土、あるいは地獄があるのだとすれば、
それは遠くのどこかではなく、
私たちの心が生み出す世界なのだと思います。
皆さんも、亡くなられた大切な方を想うとき、
どうか良い世界を思い描いてみてください。
その方が安らぎを得て、光に包まれている姿を心に描いてみてください。
そうすれば、その世界は確かに存在しうるのだと思います。
なぜなら、その世界を生み出すのは――
私たちの心だからです。
この光の体験がなければ、私は僧侶として歩むことはなかったと思います。
信じる心を持たずに仏道に立ち続けることは、私にはできませんでした。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。