平安の世、紀伊の山深い地は、人の暮らしを寄せつけぬほど厳しい自然に覆われていました。道は険しく、食は乏しく、ときには命を落とす者も少なくなかったと伝えられています。
その地を、修行と祈りの場に選ばれたのが、弘法大師空海(お大師様)でした。数多くの弟子がその志に従いましたが、その道のりは決して容易なものではありませんでした。
その中に、お大師様にとって特別な弟子がいました。智泉法師です。お大師様の甥にあたり、わずか九歳で弟子となった智泉法師は、誰よりも長く師のもとに仕えました。幼いころから常に傍らにあり、聡明で誠実な人柄によって、深い信頼を寄せられていたのです。やがてお大師様は、彼こそ自らの後を託すにふさわしいと考えるようになりました。
しかし、無常の理は若き命にも及びました。智泉法師は三十七歳という若さで生涯を閉じ、お大師様の胸に深い悲しみを刻みました。
やがて迎えた四十九日の法要。お大師様自ら導師を務められ、儀式が静かに終わろうとしたその瞬間――堂内の灯明がひときわ強く輝き、そこに智泉法師の姿が現れました。智泉法師は穏やかに微笑み、合掌して師に礼を捧げると、そのまま光に包まれて旅立っていったと伝えられています。
この出来事ののち、お大師様は一首の歌を詠まれました。
阿字の子が
阿字の古里立ち出でて
また立ち返る
阿字の古里
「阿字」とは、一言でいえば宇宙そのもの。生命の根源ともいえる存在です。そして真言宗では、それは大日如来を示すものと説かれています。
智泉法師は阿字の子としてこの世に生まれ、やがて阿字の古里へと帰っていった。その真理を、この歌は静かに語っています。
さらに思いを馳せると、この「古里」という言葉には二つの深い響きが秘められているように思えます。
ひとつは、お大師様が高野山に身を置きながら、遠い故郷・讃岐を思い起こされたときの、胸に沁みわたる懐かしさとぬくもり。魂の帰り着く場所を「古里」と呼ぶことで、人をやさしく包み込む響きを与えられたのでしょう。
もうひとつは、すべての命が最終的に阿字の古里へと帰ってゆくという普遍の真理です。そこには「亡き人とも必ず再び出会える」という希望の光が込められているのだと思います。黄昏の空に差し込む一筋の光のように、この歌は失った者を想う心に静かな慰めをもたらしてくれるのです。
個人的な想い
私自身、小学校六年生のときに父を亡くしました。いとこも二人、若くして旅立っています。そして僧侶として、これまで数多くの人々を見送ってきました。
その中で、この「阿字の古里」という歌は、私にとって大きな支えとなっています。
亡くなった方々とも、いつか阿字の古里で再び出会えるのではないか――そんな思いが、この歌を通じて心に灯り続けているのです。
実は私自身もお大師様と同じような体験をしたことがあります。そのお話についてはいずれお話ししたいと思います。
お大師様と智泉法師の物語は、遠い昔の出来事でありながら、今を生きる私たちにも「命のめぐり」を思い起こさせてくれます。
別れの悲しみを抱えながらも、「命は宇宙に抱かれている」という静かな安心を与えてくれる――この物語には、そんな祈りが込められているのだと感じます。