10月4日に金剛講創立100周年を記念して歩いた町石道についてです。町石道とは高野山のふもとの慈尊院から高野山大伽藍まで続く約22㎞徒歩8時間の参道です。光明真言を心の中で唱えながら、歩みを進めているとあっという間に高野山まで着いてしまいました。杖を忘れたが故に途中若干心が折れかけていたのですが、不思議と支えられて最後まで歩くことができました。
ここで一句
「杖忘れ なお導かる 同行二人」
和歌山県九度山町は、高野山のふもとに広がる静かな里。
この「九度山(くどやま)」という名には、弘法大師・空海と母・玉依御前(たまよりごぜん)との深い物語が伝わっています。
当時の高野山は「女人禁制」の聖地であり、女性が登ることは許されませんでした。
そこでお大師様は、母のために山麓に慈尊院(じそんいん)を建立し、母がそこに住めるようにされたと伝わります。
お大師様は高野山から月に九度下山して母に会いに行かれた――。
このことから「九度山」という名が生まれたといわれています。
「空海、月九度山を下りて母に会す。ゆえに九度山と号す。」
― 『高野山縁起』より(伝承)
慈尊院を起点として、高野山へと続くのが**町石道(ちょういしみち)**です。
この道には、一町(約109メートル)ごとに石の五輪塔「町石」が建てられ、
参詣者はその一つひとつを数えながら聖地を目指しました。
町石道は、ただの山道ではありません。
それは、祈りを刻みながら歩む道――母への思い、人への思いを仏へと捧げる道です。
九度山から高野山へと続くその一歩一歩に、
お大師様の慈しみと祈りの心が今も息づいています。
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参考・引用
• 『高野山縁起』(伝)
• 九度山町観光協会「九度山の由来」
• 和歌山県世界遺産センター「慈尊院・町石道」



